おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2018.05.07column

紙製透過フィルム、そして、おもちゃ映写機も

昨朝、久しぶりに東寺のガラクタ市を楽しみました。早速コレクションの新入りを紹介しますね。

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おもちゃ映写機の「朝日活動写真機」。「もう、いっぱいあるからいいではないか…」という私の小言を余所に、嬉しそうな連れ合い。壊れていたこともあり安く手に入れ、持ち前の器用さで修理し、磨いて…。新入りおもちゃ映写機君は、昔からそこに居たかのようにすまし顔で鎮座しています。

ドイツやアメリカのおもちゃ映写機は主にクロスカムという駆動方式ですが、日本製のおもちゃ映写機は、掻き落とし(はたき落とし)で、このおもちゃ映写機には、シャッター(ここでは、レンガ色した部品)も付いています。

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クロスカムと云うのは、ドイツのオスカー・メスターが考案した駆動方式で、回転運動を間欠運動に変える装置です。写真は5つの溝ですが最初は十字だったのでクロスカムと言います。半月形に爪のついた盤が回転運動をしますと爪はクロスカムの溝に入り、1コマ送りますが、弧の箇所に来るとスリップして、カムの部分は止まって見えます(一番右の状態です)。速く回転するとカムは全く止まったように見えます。スリップしている時だけ、投射させると映像が動いて見えるのです。

C

この写真は、掻き落としという方式です。回転運動をしているのですが、飛び出た軸が直接フィルムを引っ張りだす仕掛けです。緩みのある時は駒が動かないので、その時光を通します。この方式の場合は、かならずシャッターが必要です。

おもちゃ映写機には、これら2つの方式しかありません。

映画館での上映が終わって用済みになった35㎜のフィルムは、おもちゃ映写機用に切り売りされて、缶や紙箱に入れてデパートのおもちゃ売り場で販売されていました。欧米では小型映画やトーキー映画の普及で、1920年代をピークに廃れてしまいますが、日本の場合は、阪東妻三郎や大河内伝次郎など剣劇スターが人気を博していたので、戦後しばらくまで流通していました。フィルムが高かったので、30秒から長くても3分程度のもの。この映写機にもフィルムが付いていましたが、調べはこれから。

アニメーションの場合は、おもちゃ映写機用に当時人気だった漫画のキャラクターを勝手に拝借して作ったものも沢山あります。そうしてお茶の間で楽しまれていたアニメーションは、奇想天外なものも多く、今見ても充分面白いです。

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もうひとつの新入りは、紙製透過フィルム。欧米の紙製透過フィルムは既にいくつも所蔵しているのですが、日本製は初めて。そろっと開けたフィルムは、随分と痛んだ状態でした。「矢車涼」作画の『おむすびころりん』と読めます。専用テープで、これ以上酷くならないよう直しました。ネットで「矢車涼」を検索すると、「戦後日本少年少女雑誌データベース」によれば、様々な雑誌で漫画家として随分活躍されていた方のようですが、幻燈・アニメで検索しても、この作品は該当しませんでした。

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こちらは「小野寺秋風」作画、『豆平捕物帳』の前編、後編各18コマ。「小野寺秋風」を同様にネット検索すると、この方も戦後の雑誌で漫画家として活躍されていましたが、やはり幻燈・アニメでこの作品を検索しても該当しませんでした。小野寺秋風が長期にわたって描いた軍隊漫画絵葉書は、国民に大いに利用されたようで、広く名前が知られていたようです(http://blogs.yahoo.co.jp/y294maswlf/29590331.html参照)。

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カラーは、もう1作品あって、「落水啓一?」作画、『デカチビレスリング』。小さな文字で書かれているのでお名前を読み間違えているのかもしれません。ネットで同様に『デカチビレスリング』を検索しても見当たりませんでした。

モノクロ作品は2つあり、「山ね……」作画、『お花見』と同『魚ツリ』で、いずれも17コマ。「山ね…」を同様に検索すると、漫画家として活躍されていた人に「山根赤鬼」「やまね・あかおに」「山根青鬼」「山根一二三」があります。素人の推測ですが、漫画作品の作画パートナーが複数おられたのかもしれず、本家のキャラクターを拝借して紙フィルムを作るに際し、あやふやにしようと「山ね……」にしたのかもしれません。

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紙製フィルムには「レフシー」と「カテイトーキー」があり、反転して見えるのに対し、今回紹介したフィルムは、普通のフィルムと同じように透過して見えます。ここで紹介したカラー3作品、モノクロ2作品について、何かご存知の方がおられましたら、ぜひご教示ください。

 

それから、漫画繋がりでいえば、5月3日に正会員でもあり日頃からお世話になっている森下豊美さんから、当館が所蔵する戦前のアニメーション「底抜けドンチャン」の原作漫画の作者について情報が届きました。このアニメのキャラクターが可愛いので、もう一作品の「底抜ドン助」を利き酒用お猪口の底に描いて、開館時にミュージアムグッズを作りました。どちらも、おでこが広い男の子が主人公です。

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お猪口の元絵タイトル部分。35㎜おもちゃ映画フィルムの画像から。

そこぬけどんちゃん (2)

お送りいただいた上掲資料に[『時事漫画』昭和4(1928)年1月27日号]と書かれていたので、先行研究者が年表記を誤ったものだと思います。昭和4年なら1929年が正しいです。作者は、東京生まれの長崎抜天(ばってん。1904年4月1日~1981年1月3日) 。「時事新報」に漫画記者として入社し、連載した『時事漫画』欄の『ピー坊物語』『底抜けドンちゃん』は大変な人気を博しました。長崎抜天は、日本近代漫画の祖と評される北澤楽天の弟子としても知られています。

改めて所蔵する『漫画 底抜けドンチャン』を見ましたら、どこかから販売されたおもちゃ映画をコピーして販売したもののようで、トレードマークが塗り潰されていました。儲かるとなれば如何様な手を使っても、という感じですね。

さて、ここに掲載したお猪口ですが、5月18日に開館満3年を迎えるのを記念して、当日19時開演の『桂花團治の咄して観よかぃ』にご参加いただいた皆さまに1個ずつプレゼントします。会場の都合で先着30人です。多くの皆さまのお申し込みを、心よりお待ちしております。

【後日追記】

日本アニメ―ション協会会長の古川タク先生から、作者についてFacebookで報提供ありましたので、以下に転記します。

………小野寺秋風はボクらが子供の頃に活躍した漫画家です。上手い絵で、犬を連れた少年探偵の漫画があったな。山根赤鬼、青鬼さんは富山出身の、それこそボクらが子供の頃からの人気兄弟漫画家です。赤鬼さんは惜しくも亡くなられましたが、青鬼さんは現在も現役で活躍されています。ボクらのヒトコト漫画グループが富山でグループ展を開いた時ゲスト作家として、参加して貰いました。昔の漫画家は高校生とか卒業してすぐに活躍された方も多くて、後年、ボクらが子供の頃に熱中した漫画家に会って、意外に年齢が大して変わらないことに驚きましたね。

山根一二三さんはおもしろブックで、ぼくの孫悟空という漫画を描いていました。駄洒落連発のおもしろ漫画で、高信太郎はすごく影響を受けたと後に話してました。……

 富山出身なのに、子どもたちに大人気の兄弟漫画家がいたことを初めて知りました。富山県の高岡市や氷見市は「ドラえもん」の生みの親、藤子F・不二雄さん一色で街おこししていますが、山根さんご兄弟のことは埋もれている感じがします。これを機に広く知って貰えたら良いなぁと思います。漫画もアニメも詳しくないので、こうして教えてもらえると大いに助かります。

もう一人新美ぬゑさんからはツイッターでコメントがありましたので、それも以下に転載します。

……「底抜けドンチャン」は、のらくろ登場以前の戦前期の漫画作品としては「正チャン」、「ノンキナトウサン」と同じくらい人気があった。グッズも色々出ているし玩具映画もある。ただ、「(お猪口に描かれた)ドン助」は違うキャラクターだと思う。あと紙製フィルム幻燈画は戦後の雑誌に掲載されたマンガを、勝手に使ったものかもなぁ。渡辺先生ならリアルタイムに見てそうだから、わかるかもしれない。……

このコメントを読んだこともあり、前回掲載分に「底抜ドン助仇討道中双六」の画像を貼り足しました。素人考えですが、人気漫画のキャラクターを拝借して、漫画の上手な書き手が求めに応じて描いたものだと思います。漫画は原作者そのものの手によりますが、それを利用してアニメーションなどを作った人は、如何に面白い作品を描こうとも後世に名前が残りません。でも、今回のような古い作品が見つかることによって「うちのお父さんが描いていた」というような証言が得られれば、当時の状況がよくわかって、良いなぁと思います。こちらに関しても情報提供を求めます。

 

 

 

 

 

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