おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2018.05.17column

悲しい知らせ

夕方一人の若者が来館。よく映画を見に行った帰りにふらりと立ち寄ってくれる加藤博人さん。前回は4月4日に来館。その時「最近見たアメリカの映画に、偶然ほんの僅かだけどアメリカに住んでいる親戚のおばさん、スージー・マツモトが映っていた」と話されたのを聞いて「へぇ~」と思ったばかり。何という映画だったか、メモしたはずなのに急なことで見つからないのが、悔しい。

千円渡してくれたので、お釣りを渡そうとしたら「券は二人分で」と言って涙声に。慌てて「どうしたの?」と聞くと、「おばあちゃんが急に亡くなったんです。昨日の未明2時に」というので、ビックリ。彼自身も、彼のご家族もまだ死を受け入れられていない状態のよう。私がこの10日余り胃腸炎で苦しんだのと同じ、胃腸炎だったようです。友人も同じ症状で5日間苦しんだようですから、今流行っているのかもしれません。きっとおばあさん自身も、まさか死んでしまうとは思っておられなかったでしょう。おじいさんが呼んだ救急車の中で虫の息だったそうですが、病院について家族が見守る中、静かにお亡くなりになったそうです。

長患いなら、いつか訪れる別れに備えて覚悟ができますが、まだまだお元気だっただけに、突然の別れにおばあちゃん子だった博人さんは、私に話乍ら涙、涙。優しいお孫さんです。4月4日に来館時には、「今度はおばあちゃんも一緒に来てね。もっと昔の話をたくさんお聞きしたいから」とお願いしました。博人さんも、十分その気でいてくださっていて、「おばあちゃんと、『また一緒におもちゃ映画ミュージアムに行こうね』と話していたのに、約束が果たせなくなってしまった。でも今日はおばあちゃんと最後に一緒に見に来たと思って寄りました。棺桶に、このチケット2枚を入れて見送ります」。聞いていて、胸がいっぱいになってしまいました。こんな悲しいチケットの使い方があるのだなんて…。

おばあさんのお名前は、長谷川昌子さん。享年86歳。2017年4月18日付けブログ「千本三条と西高瀬川、材木商、そして、昔の映画」後半部分に、昌子さんからお聞きした興味深い話を書いています。今年4月4日に来館時は、何の話からだったか加藤さんの昔の家がGHQの航空写真に写っているというのを教えて貰いました。何かの機会に書こうと思いながら、そのタイミングを逸してしまったのを後悔しています。もし、サッサと書いていたら、おばあさんにお見せできたのに、と思うからです。でも、博人さんのチケットと同様に、私も約束を守って今書きます。

IMG_4649.jpg加藤博人さんの昔の家GHQの映像から (2)

右に写っている家がそうで、この辺り一帯の大きなおうちだったようです。そこに何と、独特の美人画で有名な甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)が下宿していたのだそうです。「えっ!」と驚く私に「何で?」という表情の博人さん。彼は甲斐庄楠音が、そんなに有名な画家だと知らなかったそうです。「来館の9日前に終了した『市川右太衛門展』で展示していた派手な衣装を身につけた「旗本退屈男」シリーズ主人公「早乙女主水之介」の美しいポスター画を見て欲しかった」と言いました。その衣装をデザインしたのが、甲斐庄楠音だったのです。

一本の映画で衣装が12、3着用意され、全て新品で、同じものを一切着なかったとか。主人公一人の衣装代が全衣装代の8割も占めていたそうです。今では考えられない映画全盛期だった頃のお話し。

1953年、溝口健二監督の「雨月物語」で風俗考証を担当し、1955年に同作品でアカデミー賞衣装部門にノミネートされた時のことでしょうか、アメリカから帰国した後、甲斐庄楠音はふらりとこの家を訪ねてきて懐かしんだそうです。「その前後の手紙とか残っていない?」と尋ねる私に、首を振る博人さん。ミーハーの私なら、絶対サインもらっていたのに、暮らし方が異なる人々には、そういった発想がなかったのでしょうか。今もって自分勝手に惜しい話。

本当なら、こういう話を昌子おばあさんから、直接お聞きしたかったです。私もこんなに早く逝ってしまわれるなんて想像もしていなかっただけに、悲しいです。

お通夜は今晩7時から、鴨川傍のセレモニーホールで。家族は夕方6時集合だそうで、それに間に合うようにわざわざ来てくださいました。明日の開館満3周年記念プレゼントに用意した「底抜ドン助」のお猪口を「水杯にして」と渡しました。

明日のお葬式に参列は難しいので、心の中で手を合わせご冥福を祈ります。どうぞ、安らかにお眠りください。

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