おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2019.03.04column

大林宣彦監督のファン

2月27日に久しぶりにお越いただいた森町水歌さんから「ここがなくなったらいけないから」と嬉しい思いやりをいただきました。本来なら彼と友人は大林宣彦監督と高林陽一監督の資料を随時みられる場所を持ちたいという夢をお持ちなのですが、体調や介護のことなどもあってまだ実現には至っておりません。試しに当館で展示をやって見ては如何ですか?と提案しています。

そこに、ハーバード大学大学院生のジョエル・タパスさんが指導教官アレックス・ザルテンさんの紹介で来館。アレックスさんは当館改修のまだバタバタの時に来てくださり、そして昨夏の「第13回映画の復元と保存に関するワークショップ」懇親会後の8月25日夜にも来てくださいました。

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左から、スミス・ジェイソンさん(岩手県在住)、マクシミリアン・クスケさん(高崎市地域活性化センターという形で2014年に再開館した高崎電気館で活躍)、連れ合い、私、アレックス・ザルテンさん、羽山夏子さん(NHKエンタープライズのプロデューサー)。

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なかなか書けずにいたので、この際25日夜のお客さまを全てご紹介。水玉のシャツ後ろ姿は高橋克三さん(国際平和映像祭理事で当団体正会員)、スクリーンの前に白い箱をもっておられるのが小川翔太さん(名古屋大学文学研究科准教授で当団体正会員)。皆さま、ようこそおいでくださいました。掲載が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。この時は、おもちゃ映画を興味深くご覧になっていました。

さて、ジョエル・タパスさんの話に戻ると、アレックスさんの授業に大林監督をお招きして『HOUSE ハウス』(1977年)を取り上げた折り、直接話をしたことがあると彼女。私は私で、昨年12月8日に阪大豊中キャンパスで開催された日本映画学会の折り、大林監督が「未来のためにハッピーエンドをつむぐ映画」の演題で特別講演されたのをお聞きしたばかりでしたので、そのことを話しました。今12月8日のメモを読むと、「アメリカの東海岸での学生さんらとのティーチインで、最初に聞かれるのは『あなたの戦争体験は何ですか?』です。戦争体験を聞けば作品がわかるというわけです。」と書いていますので、大林監督が話された体験は、ひょっとしたらアレックスさんの授業でのことなのかもしれませんね。

2018年12月8日阪大豊中キャンパス日本映画学会での講演で大林宣彦監督 - コピー (2)

大林監督は「20世紀の映画が描いてきたものは戦争だった。映画はいろんな活用がなされた。映画は権力者の側(国家)が作り、庶民の活躍に拍手を送る作品を作った。大衆に支持される、自分たちのアイデンティティーのために作った。映画は今、記憶で語る時代から、記録で語る映画へ。どう社会に役立ってきたか、記録から自由に紐解いていく時代になった。エジソンが発明した映画も東から流行った。トラストができてユダヤ人たちが締め出された。ハリウッドは8割がユダヤ人。アンラッキーな体験をした人ばかり。純粋なアメリカ人はいない。映画で歴史を変えることはできないが、映画で未来を平和に変えることはできる。戦争中は知っている人の10人が、毎日死んでいった。人の生死は僕が覚えている限り現れるが、忘れてしまうことは、その人が死ぬことだ。」等々お話されたことの断片をメモから書き出しながら、今読んでいるリティ・パン監督の『消去~虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実』を思い浮かべています。過去に何があったかを明らかにすることによって、平和な未来を作ろうと努力されているパン監督の仕事はとても意義深いものだと思います。2月23日リティ・パン監督と出会った時のことはこちらで書きました。

 森町さん、ジョエルさん、そして、私はささやかで恐縮ですが、3人とも大林監督との接点を見い出せたこともあり、森町さん手作りの「何でも落書き画報」1~20号を手に記念写真を撮りました。

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DSC08883 (2)びっしり隙間なく思いが綴られています。この印刷物は当館でご覧いただけます。

ジョエルさんは、今東京にいて、瀬尾光世の研究をしているのだそうです!嬉しいですねぇ、海外の人が日本の初期アニメーション史に関心をもってくださるなんて!!これまでの活動から、少しは彼女のお役に立てることもあるような気がしています。初対面なのに、旧知のように親しみを感じた素敵な方でした。

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