おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.12.16column

12月15日「祇園祭創始1150年記念事業」で、当館所蔵の映像「祇園祭山鉾巡行」が上映されました‼

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これは今朝の京都新聞記事。関係者の方から招待を受けましたので、昨日の午後、いそいそとリニューアルなった旧京都会館「ロームシアター京都」サウスホールへ。中に入るのは初めて。洛中洛外図屏風の絵を西陣織で織った立派な緞帳に先ずは、口をアングリ。上掲記事によれば、500人もの人々が、祇園祭創始1150年記念事業・公益財団法人京都市文化観光資源保護財団設立50周年事業「都の賑わい 祭-神人和楽のまつり『祇園祭』-」に詰めかけました。立派なホールは、満員の人々で埋まっていました。

なぜ、招待を受けたのかと申しますと、記事にもある岸本吉博前理事長さんの講演の前に、当館が所蔵する祇園祭の記録映像を皆さんに披露してくださることになったからです

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それが、この映像。大正2(1913)年に撮影されたものだろうと推測されています。

IMG_20191216_0002 この映像については、2007年8月12日付け京都新聞1面トップで掲載していただきました。丁度岸本前理事長は、放下鉾の方なので、講演の冒頭でも触れていただきました。この映像が撮影された当時は生き稚児、人間のお稚児さんでしたが、昭和4年から「三光丸」と呼ばれる稚児人形になったそうです。ネットで調べてみると、この人形は関節が動き、三人の人形方によって鉾の上で、生き稚児のように稚児舞を演じるのだとか。

人形製作は、当時四条堺町にあって、籤改めの会場になっていた丸平大木人形店に依頼し、十二世面庄が製作しました。「三光丸」の名は、久邇宮多嘉王様が、鉾頭の三光(日・月・星)が下界を照らしているようだと命名されたのだとか。丸平大木人形店と面庄とくれば、人形好きにはたまりませんね。今年の祇園祭も、いろいろ見て歩いたのに、うっかりしていました。来年は何をさておいても放下鉾を見に行こうと思います。

ともあれ、会場の皆さんは、現在の山鉾巡行とは様々な点で異なる大正時代の様子を食い入るようにご覧になっていました。当館の紹介にもなり、ありがたい機会となりました。

休憩を挟んで、4つの保存会・講中による祇園祭と祇園祭ゆかりの郷土芸能が披露されました。

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最初に掲げた新聞記事の写真にも写っている「やすらい花」。玄武やすらい会の皆さんです。平安時代に起源をもち、桜の花の散る頃、都に蔓延する疫病を鎮めるために風流の扮装をして、鉦や太鼓を叩き、踊りながら神社に参拝し、無病息災を祈願したのが始まりだそうです。市内には他に3つの「やすらい花」があり、1987年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

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剣鉾を初めて見ました。飾ってある鉾は、10月22日鞍馬の火祭リの時に見ましたが、鈴の音色は初めて聞きました。邪を祓い、辺りを清める音色だなぁと思い、耳を傾けながら見ました。東山区本町にある瀧尾神社の剣鉾差しで、毎年9月最終日曜日に行われます。全体の長さは6メートルにもなり、舞台上の照明道具などが丸見えになっています。

神輿の巡幸路を清めたりする武具としての矛(鉾)は、中世後期には風流化し、様々な形態に発展。長大な棹を立てて歩く剣鉾は、祇園祭で曳車に載せられ巨大化した山鉾とほぼ同じ頃、御霊祭で成立したと考えられているそうです。また、平安時代の『年中行事絵巻』に祭鉾として、神輿渡御を先導する鉾の様子が描かれています。バランスを取りながら差して歩くのは、なかなか難しく体力も必要だとのことです。

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披露してくださったのは、瀧尾神社昇龍会の皆さんです。纏の上に大丸百貨店の「大」が見えますが、瀧尾神社は、のちの大丸を創業した下村彦右衛門正啓が、創業の地である伏見京町から京に行商に行くまでに、商いの成功を祈願したのが縁で、今も下村家の信仰が篤く、その寄進で数度にわたる社殿修復が行われているのだそうです。

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続いて、長刀鉾保存会の皆さん。強力さんの肩に乗って長刀鉾の生き稚児が二人の禿を引き連れて登場。DSC_1038

夏の風物詩、祇園囃子の笛や鉦が鳴る中、生き稚児さんが、注連縄を切ります。普段は高い鉾の上で振り下ろす剣ですが、このような目の高さで、しかも間近に見ることができて、なんて幸せなんだろうと思いながら観ました。

八坂神社社伝によると、貞観11(869)年全国に悪疫が流行したとき、その時の国の数に合わせて66本の矛を立て、神輿を神泉苑に送り、疫病退散を祈願したのが始まりと言われています。それで、今年は祇園祭創始1150年というわけです。度重なる戦さや大火にもめげず、町衆の熱気でその都度復興し、今日に至るまで連綿と祭りが継承されていることは、本当に尊いことです。

今年は「京都祇園祭の山鉾行事」が国の重要無形民俗文化財に指定されてから40年、ユネスコ無形文化遺産に登録されてから10年の年でもあります。加えて京都市文化観光資源保護財団設立50周年というめでたいことが重なっての記念事業でした。そういう場で、所蔵する大正初期の映像を広くご覧いただけたことは望外の喜びです。ありがとうございました!!!!!

DSCPDC_0002_BURST20191215162最後に壬生六斎念仏講中による国の重要無形民俗文化財「六斎念仏」の披露です。「京都の六斎念仏」は平安時代に空也上人が民衆に信仰を広めるために、鉦や太鼓を叩いて踊躍念仏を始めたのが起こりと言われています。六斎(1ヵ月のうち8日、14日、15日、23日、29日、晦日の6日間)には、悪い魂が現れて人命を脅かし不吉な日と考えられていて、人々は精進潔斎をして身を慎み、この念仏を六斎の日に行われたことから、六斎念仏と呼ばれるようになったそうです。江戸時代中頃から風流化して、今では六斎日に関わりなく、お盆の行事を中心に行われていて、市内には10数団体の保存会があるそうです。壬生寺では毎年8月9日夜に行われるとわかりましたので、来年は実見したいです。

明治時代以前から、祇園祭には綾傘鉾の囃子方として壬生の人々が参加されていたそうで、その「祇園囃子」も披露してくださいました。他に講中に入った人が一番最初に覚える「四ッ太鼓」も。小さな男の子が一生懸命太鼓を叩く姿は可愛らしかったです。叩く人は、徐々に大きいお兄さんにチェンジするのですが、10月の壬生狂言を見学した時も思ったことですが、次世代育成ができていて素晴らしいです!!!!!

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最後に六斎念仏のクライマックス「獅子舞」。二人1組の獅子が、時にユーモラスに、時にアクロバティックに演じて観る者を飽きさせません。

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 この状態のまま、積み上げた台を一つずつ外していきます。呼吸が合わないと危険ですね。ハラハラしながら注視しました。そして見事地上に降りた後、横たわっていると、大きな蜘蛛がやってきます。

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記念事業という晴れの舞台に相応しく、この日の蜘蛛の糸は贅沢に、これでもか、これでもか、と放り投げてご覧の通り糸だらけ。終わった後に、沢山この糸を貰って帰りました。お財布に入り切らないくらい。御利益あると良いなぁ。

居ながらにして、このような見応えある京都の伝統芸能、祭りを観させていただき感謝感激です。やはり、私はこうしたものを見て歩くのが好きなんだなぁと再確認した次第。次は現地で話を聞きながら実見したい。

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