おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.12.20column

今日は「果ての二十日」

「今日は『果ての二十日』や」と言いながら、顔見知りの紙資料収集家の森 安正さんが来館。聞き慣れない「果ての二十日」の意味を尋ねたら、「昔、京都では12月20日に、粟田口で罪人が処刑された。最後の最後という意味や。その翌日の12月21日は東寺の終い弘法。いよいよ年の瀬を迎えて正月の準備を始める日というわけや」と京都人らしい知識を教えてくださいました。

ネットで検索すると、1年の終わりの月を「果ての月」と言い、果ての二十日は12月20日のことを言うそうです。江戸時代、東海道から京の都に入る入り口だった粟田口には刑場がありました。いよいよ果ての二十日、罪人は、今度生まれ変わるときには真人間になるよう「一条戻り橋」を引き回された後、刑場へと向かったということです。怖い話ですね。

同じくネットで検索するとお隣の奈良県では、この日に妖怪が出没し、一年に一度人間の命を取るという伝説が残っていて、12月20日は山に入ることを避ける風習が残っている地域があるとか。いずれにしても、「果ての二十日」は身を慎み、災いを避ける忌み日として、静かに過ごすのが良いようです。

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昨日のブログで、ちょっとだけ触れた「十二月十二日」の泥棒よけの逆さ札。12月12日が三条河原で釜煎の刑に処せられた石川五右衛門の命日だという説に因み(8月24日の説も)、ミュージアム戸口の上に貼っています。泥棒が盗みに入ろうと屋根から下を覗くと「十二月十二日」のお札が貼ってあるのが目に留まります。「いけねぇ、大先輩の石川五右衛門さんが酷え目に遭った日だ。クワバラクワバラ」ということで、泥棒が退散するというおまじない。「おまえも、同じ目に遭うぞ!」という脅しなのです。因みに、このお札は2015年12月12日、十二歳になった町内の女の子に書いてもらい、当日イベントに参加してくださった方々にプレゼントしました。奈良や京都の方から「あら、懐かしい」と好評でした。有効期間があるのかもしれませんが「信じる者は救われる」。今年も定位置で、ミュージアムの無事を護ってくれています。

12月12日釜煎の刑の話と、12月20日が罪人処刑日になったこととは関係ないのかしら?「果ての月」の最後の最後に、イヤなこと、面倒なことを片付けて、綺麗さっぱりして新年を迎えたいという思いは今も昔も変らず。今年は10月に引越をしたので、大掃除の面倒はありませんが、まだまだ本を詰めた段ボール箱が家中を埋め尽くしているので、「果ての月」中に片付けられたら良いのですが、この見通しは絶望的。

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今日は、地域の歴史を調べておられる篠原俊次さんも来てくださり、「一生懸命勉強しなさいよ」と『乾百年史』(1970年、乾百年史編纂委員会)をプレゼントしてもらいました。その1頁に載っていた上掲地図には、「旧六角牢屋敷」があります。元治元(1864)年7月20日に起こった京都御所・蛤御門の変で、戦火が市中へ広がり、六角獄舎近くまで迫りました。京都町奉行の滝川具挙の判断で、収監中の尊王攘夷派浪士の中で危険分子と判断された33人が斬首されました。幕末の京都は佐幕派と討幕派が入り乱れて、切った、切られたの無法地帯。このような状態では、「果ての二十日」を待たずして消えて行った人々もいたのかもしれません。あな恐ろしや。12月20日は居籠の日として、静かに静かに。

ちょっと暗くなったので、気分を変えて、森 安正さんらの最新刊『祝祭の京都』をご紹介。

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森さんら京都絵葉書研究会の皆さんが収集された大正や昭和の大礼の絵葉書や、京都三大祭りの絵葉書など約350点が載っています。今月10~15日中京区の便利堂コロタイプギャラリーで出版を記念して、収録作品やメンバー所蔵品の展覧会が開催され、観てきました。どれもこれも珍しいものばかり。「じゃっ」ということで、来年7月に森さんに協力していただいて、展示されていた祇園祭絵葉書の中から幾枚かをお借りして展示することにしました。お楽しみに‼

この本の他に『全国絵葉書市街地総覧』『動く京都・20世紀 鉄道絵葉書の世界』『京都絵葉書 100年のおどろき』『集う京都20世紀』も出版されています。ミュージアムでも扱っていますので、ご来館の折りに、労作をぜひお買い求めください。

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