おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.06.08column

「新選組」洛中最後となった屯所の所在地

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今朝の京都新聞1面トップ記事。社会面にも大きく関連記事が載っていました。社会面記事の大見出しは「新選組屯所『諸説』に終止符か」とありますので、まだまだ検証が必要なようですが、先ずは当事者であった西本願寺の古文書に購入代金や土地の大きさなどの記述があることから、所在地特定が大きく前進しました。

なぜ、私がこの記事を取り上げたかと言いますと、おもちゃ映画ミュージアムは上掲地図左に南北に走る大宮通が記載されていますが、その大宮通をそのまま北上した四条通と三条通のほぼ中間地点にあるからです。ミュージアム周辺はもともと田んぼだったようですが、近くに六角獄舎があり、坂本龍馬、お龍さんに因むエピソードを語る武信神社もあります〔縁結びに御利益があると、最近は観光名所になっています)。幕末、新選組は、ここらあたりも闊歩していたでしょう。記事に出てくる壬生寺・前川邸・八木邸へは、600㍍くらいの近さです。

今度、自転車でこの最後の拠点とされる現リーガロイヤルホテル京都にも出かけてみようと思います。既にこの地には、屯所跡を示す石碑が2003年に建てられているそうですが、木村幸比古・霊山歴史館副館長が、坂本龍馬等と関係があった菊屋峰吉等の証言を元に監修された結果だそうです。屯所跡が何処だったか諸説ある中で、西本願寺の古文書によって裏付けされた意味は大きいですね。

話はやや逸れますが、今の政府は記録を残すことを何かにつけて軽んじ、証拠がないと言い張る一方で、秘密裏にいろんなことを自分たちに都合良く勝手に押しすすめています。が、自分たちの保身のためという短いスパンで考えるのではなく、もっと長期的スパンで公文書を残すことに真摯に取り組んで欲しいと願います。それらの記録は、後の人々が当時はどうだったかを振り返る時の資料として活かされ、屯所跡の例ではありませんが、要らぬ混乱を防ぐことにもなり、それから得た知見を元に今後の困難にどう対処すれば良いかを探る手立てにもなりましょう。

この記事が載った1面には、新選組の記事と並んで「専門家会議議事録『作らぬ』」の大見出し記事が載っています。新型コロナウイルス対策の専門家会議の議事録作成は、妥当性を事後検証できるよう、やりとりをそのまま記録した議事録を作成すべきだとの指摘が多くなされていますが、昨日の記者会見で、西村康稔経済再生担当相は、今後も専門家会議の議事録を作成せず、議事概要だけを公表する方針を示しました。速記録は作成するが明らかにしないとのこと。全く、がっかりです。

 

さて、8月の企画展は「『満州国』って、知っていますか?」をしようと思っています。お声がけして資料をお借りできることになった施設のひとつに東京都日野市の日野市郷土資料館があります。昨年夏、たまたま読んだ毎日新聞の連載『公文書を生かす』で、「東京府拓務訓練所」について書いてあり、そこに日野市郷土資料館の名前があったので、ダメ元で問い合わせをしたのです。連絡先を調べようと思ってネットで検索したら、「新選組のふるさと日野市」とあって、余りものを知らない私は「新選組」繋がりにびっくりしました。

ご存じの人は「今頃知ったのか!」と呆れかえるところかも知れませんが、新選組副長土方歳三は武蔵多摩郡日野郷石田村、六番隊隊長井上源三郎は日野宿北原、近藤勇や沖田総司らが剣術の腕を磨き、新選組に大きく関係することとなった天然理心流佐藤道場は日野宿問屋(日野本郷名主)佐藤彦三郎が自宅に開いた道場だったのです。全て今の日野市内。

こんな繋がりもあったのかと、とても親しみを感じた次第です。西本願寺の記録から、新選組に困惑して、一刻も速く境内から追い払いたかった寺側の事情もうかがえますが、それはともかくとして、今朝の新聞報道は日野の人々にとっても関心を呼ぶことでしょう。

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