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2020.08.31column

やっぱりライブが一番‼7月26日活弁と生演奏で開催した「無声映画に見る新国劇の世界」

.5周年2020.7.26A - コピー

7月26日(日)、COVID-19に可能な限り気を付けながら、予定通り「無声映画に見る新国劇の世界」を開催しました。本当は5月17日に開館満5年を記念して行う予定でした(この時のご案内で、上映内容について紹介しています)が、感染拡大防止のため、やむなく中止の広報をしました。申し込みを頂いていた方々から「中止ではなく、延期で」という声が多数寄せられましたので、定員をいつもの半分に減らし、消毒や換気にも気を付けての実施としました。

ライブでの活弁上映の機会が少ないこともあって、直ぐに申し込みでいっぱいになり、大勢の人にお断りせざるを得ない状況でした。出演は、お馴染みの活動写真弁士の坂本頼光さんとピアノ演奏の天宮 遥さんです。なお、上映するフィルムのタイトルは「国定忠次」でしたが、このブログでは「国定忠治」で通します。DSC03810 (2)

「非常に立派な仕切りをご用意いただきまして。でも何ですか、面会に来ていただいているようで、中島貞夫監督『暴動島根刑務所』(1975年)とか、松方弘樹の脱獄シリーズを思い出してしまうような気がします」と本音をポロリと吐露して笑いをとって、早速お客様の心をギュッと。

「一度延期になったこの上映会が、万端のセキュリティをもってできることを本当に嬉しく思います。今回は私も久しぶりです、お客さんを前に説明を務めますのは。感慨無量でございます。やっぱりライブが一番だなと嬉しく思っています。しかも、歴史的に貴重な作品をやらせてもらう。新国劇の作家、行友李風が新国劇のために書き下ろした戯曲『国定忠治』です。澤田正二郎主演で4場(幕)あります。『赤城の山』『山形屋』『尼寺』最後に土蔵で『御用』になる。新国劇の舞台でやるのと同じ場面、場面が描かれてているわけです。今までは『赤城の山』『山形屋』など部分的な場面しか見ることが叶わなかったのですが、ようやく通しで今、これを見ることができるわけです」。

「1週間で2本、『国定忠治』と『月形半平太』(筆者注:牧野省三監督は澤正のレパートリーから『月形半平太』を提案しましたが、最終的に菊池寛原作『恩讐の彼方に』を1924年11月に撮影)を、3日で1本あげる感じで撮り、新国劇メンバーは大変だったと思います。けれども自分たちがやっている舞台をそのまま撮影させているわけですから、牧野監督も演出は特には付けなかったのかもしれません。

その頃の新国劇のメンバーだと上田吉二郎さんが非常に良い役で出ていて、一の子分清水の厳鉄役で。島田正吾さんも、どっかに出ているらしいのですが、まだ若手の頃で、全然役が付いていない。どうも最初の赤城の山で川田屋惣次(忠治の舅、御用十手を預かる立場)が山に登ってくるときに随行してくる一人ではないかというのを古老から聞いた覚えがあります。

澤田正二郎の国定忠治は一品です。有名な『赤城の山も今夜限り』は、ここから出ているので、ぜひ楽しんでいただきたい。では、現存する最長版でお届けします」。

赤城の山も今宵限り

これが、名台詞「赤城の山も今夜を限り、生れ故郷の國定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」の場面。スクリーン向かって左端が上田吉二郎さん。

途中、遅れて入って来られたお客様に「大丈夫だよ。今だったら入ってきても構いやしない」と活弁の口調そのままに、声掛けをする頼光さん。

澤正の演技に合わせて揉み手

山形屋に入ってきた忠治の場面。越後から来た年老いた男は、年貢の金に困り娘を50両で身売りしますが、その金を追剥に盗られて死のうとしていました。偶然、追剥二人が話しているのを聞いてしまった忠治は、山形屋へ乗り込みます。追剥二人は山形屋の子分だったのです。

澤正と二人

「ごめんなすって」と忠治になりきって、揉み手の頼光さんと演奏の天宮遥さん。忠治は小気味良い啖呵で山形屋(山形屋藤造は、ばくち打ちでありながら十手持ちでもある悪党)を懲らしめて、この父娘のピンチを救います。江戸後期のばくち打ち国定忠治には、天保の大飢饉のとき農民を助けた逸話があり、弱い者を助ける侠客のイメージが生まれ、講談、浪曲、芝居、そして映画などで描かれて、人々に好まれました。

SPレコードを聴く

 『国定忠治』の熱演で、大きな拍手をいただいたのに続き、大西秀紀さん(京都市立芸術大学客員研究員)からお借りしたレコードの画像やSPレコードの音源を紹介しました。下掲画像は、前述の山形屋の場面。全てをお聞きいただく時間もないので、次にご覧いただく大河内伝次郎主演『沓掛時次郎』(1929年)の主題歌『沓掛小唄』と恩師澤田正二郎の死を悼む大河内の声明を聞いてもらいました。大西様、ありがとうございました!!!!!

国定忠治375-A - コピー

頼光さんの解説が続きます。

沓掛時次郎 - コピー

「大河内伝次郎は、第二新国劇の倉橋仙太郎が関西に戻って旗揚げしたところの出身で、澤田正二郎は師匠筋にあたります。1929(昭和4)年に澤正が急性中耳炎で36歳の若さで亡くなったとき、舞台に穴をあけないために、大石内蔵助役を代役するなど、澤正を師匠として立てていました。日活を一度出て、復活した第1作目が『沓掛時次郎』で、この作品も澤正がやっている役なので、心に期するところあっての声明です。それに続いて大河内自らの解説がレコードになっています」。

この仕切りが…

と調子は良かったのですが、もう辛抱できずという体で、

「今日はしゃべりにくいんです。まぁ、聞いてください。この仕切りがね、暗くして、ここに明かりがあるでしょ。私の顔が両目に映るんですよ。私、自分でしゃべっているみたいでね。『タクシードライバー』のデ・ニーロみたいな気分になって、頭おかしくなりそうでね。でも、大丈夫、大丈夫」。

仕切りを出て、

と、仕切りから出て「2メートル離れていればいいんだから」。感染防止になればと、連れ合いが工夫して手作りしたのですが、もう一工夫が必要だったようです。

「主題歌の『沓掛小唄』は、川崎豊と曽我直子のデュエットで、作詞が原作者の長谷川伸、作曲が奥山貞吉。大変ヒットした曲で、映画も大ヒットしました。無声映画時代、このレコードと同じメロディで演奏していました。日活時代劇では伊藤大輔監督が当時はトップでしたが、辻吉郎監督も大変活躍していました。職人的演出が巧みでしたが、左翼傾向の強い監督でもありました。ですが、娯楽作品もきっちり仕事をした監督でした。

戦後の中村錦之助主演、加藤泰監督『沓掛時次郎 遊侠一匹』(1966年)が知られていますが、大河内の第1作もオツなものです」ということで、活弁上映が始まりました。

沓掛時次郎とおきぬと太郎坊主演は大河内伝次郎と酒井米子です。沓掛時次郎は、渡世に落ちて10年。一宿一飯の義理ゆえに斬った男の女房(おきぬ)と子ども(太郎坊)に追手がかかると知った時次郎は、二人をかばいながら落ち延びます。

天宮さんが、直前に聞いたレコード『沓掛小唄』の旋律を早速、巧みに取り入れて情緒を醸し出して演奏されたのは、さすがプロ!と思いました。つい先日、お客様のご尽力で、大河内伝次郎のお孫さんと1度メールを交わす幸運に恵まれました。できることなら、大河内出演の作品を、ぜひ活弁生演奏付きでご覧いただきたいと願っているとメールしましたが、いつか叶うと良いなぁと思っています。

 ということで、2作品活弁上映が無事に終了しました。上演から1か月が経ちましたが、COVID-19感染者数は未だ増え続き、30日は全国で599人の感染者が確認されたそうです。上映をした7月26日東京では239人の新規感染者で、「東京はピリピリしていて仕事がやりにくくて仕方がありません。とにかくライブは不要不急ということで厳しいところです。また世の中がある程度平穏になったら、こんな仕切り無しで、活弁ライブができたらと思っております」ということで締めくくりに。

集合写真

 皆様、ありがとうございました。オンライン配信が増えていますが、やっぱりライブが一番ですね。とても楽しい時間でした。頼光さんの隣の男性は今、活弁で見ていた頃の無声映画を研究中だそうで、直接頼光さんの話も聞けて良い機会になったと思います。

後ろ姿

この日は、頼光さんのファンの方が幾人もお見えでした。当団体サポーターでもある着物姿の美しいこの女性は、坂本頼光さんのイラスト「サザザさん顔柄赤」の手ぬぐいを用いて手作りされた帯でお越しくださいました。

前

頼光さんも、嬉しそう。ありがたいことに、私のために、同じ手ぬぐいで帯を手作りして下さるそうです。一人で着物を着る練習しなくちゃ。それにしても、毎回すてきな着物の装いにうっとり。お綺麗です。

館長と二人

この後、DVD用の収録もして、お二人にはずいぶんいろんなことをお頼みしてしまい、申し訳ございませんでした。ずっと長い間温めていた企画が実行できて、とてもありがたかったです。感謝しています!!!

文代と二人

DVDは、諸々あってまだ完成していませんが、出来上がりましたら即ご案内致します。正会員、サポーター会員になってくださった方にお礼に差し上げます。すでにご入金いただいている皆様、お待たせして申し訳ありませんが、どうぞお楽しみになさって、もうしばらくお待ちくださいませ。何卒よろしくお願い致します。

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